中村政人さん x 相原健作さん x 河野宏樹さん 「藝大男性教員、子育てを語る」

 

育児と仕事の両立に関する女性の経験談が巷にあふれている一方で、広く共有されているとは言えないのが父親側の話。アーティストで研究者でもある藝大の男性教員は、子育てについて一体どんなことを考えているのか? 父親歴1年、7年、19年と、様々なステージにいる3名の男性教員に、わが家の方針や子どもと社会の関係について語ってもらいました。

中村 政人(美術学部絵画科教授)*写真中央
相原 健作(社会連携センター特任研究員)*同右
河野 宏樹(映像研究科アニメーション専攻教育研究助手)

作家活動をしながらの子育てスタート

中村 大学で子育てについて議論するなんて、初めてですよ。何から話せばいいですか?

——まずは、お子さんの人数や年齢を教えてください。

中村 19歳の男の子が一人です。今年6月に韓国のインターナショナルスクールを卒業して、ちょうど今、日本の大学を受験している最中です。母親が韓国人なのですが、息子は小学校卒業まで湯島で育ち、中学・高校時代はソウルの母親のもとで暮らして、今は僕と一緒に二人で暮らしています。今日も朝ごはんを作ってきました。

相原 うちも男の子が一人。7歳、小1です。夫婦ともに鍛金作家で研究者です。女房が大学の常勤教員の仕事を取れた頃に息子が生まれました。ずっと墨田区、台東区界隈に住んでいます。

河野 うちも一人で、最近1歳になったばかりです。共働きで、今は僕が勤務時間を繰り上げて早く帰らせてもらい、保育園の送り迎えをしています。

中村 1歳かー。かわいいだろうなー。

河野 はい(笑)。でも今はまだ、子どもがいる環境に慣れるのに精一杯で。映像研究科アニメーション専攻の皆さんのご理解のおかげでなんとか時間のやりくりはできていますが、今後どうなるかはわからないです。仕事と子育てを両立できているとはとても言えないですね。今日は、お二人にいろいろ教えていただければと思います。特にお子さんが小さかった頃、どうされていたのかを知りたいです。

中村 僕の場合、藝大の先生になったのが2003年。それまではフリーで作家活動を続けていたから、子どもが小さかった頃は大学教員ではなかったのです。
当時は時間を自由に使えたので、結構子どもと一緒にいたかな。息子が生まれたのとほぼ同時期に、今は会社になっている「コマンドN」を仲間5人でシェアオフィスとして開設して、よくそこに連れて行っていました。仕事中も、人を呼んでパーティをやる時も、息子はずっとそこにいて、皆に見てもらっていましたね。幼稚園に入るまでは、事務所が保育園みたいになっていました。

相原 そういう環境があるのはいいですね。うちは行政をできる限り利用しました。僕も息子が生まれた頃はフリーで活動していて、0歳から保育園に預けました。
生まれる前は24時間すべてが自分の時間だったので、朝晩関係なく制作していたのですが、子どもができてからは時間を区切るようになりましたね。朝7時くらいに保育園に送り届けて、8時くらいから夜7時くらいまで制作。子ども迎えに行って食事をして寝かしつけた後、また深夜過ぎに数時間制作する、という感じです。結果的にメリハリがついてよかったです。仕事の質や量が落ちることもなく、それまでいかに時間を無駄に使っていたかを実感しました。

——0歳から保育園に預けるための活動はされましたか?

相原 地域の保育園事情は徹底的に調べました。子どもを預けて働いた実績があると点数が加算されると聞いて、保育ママを利用したり。

中村 点数って何ですか?

相原 そういうものがあるんですよ。両親ともフルタイムで働いていると何点、祖父母が遠方なら何点、二人目以降なら何点、というふうに加算されていって、点数が多い人ほど保育に欠けると見なされる。
うちの夫婦の場合、とにかく預けることができないと仕事に支障が出るので、長時間預かってくれる私立の保育園に狙いを定めて、無事入れることができました。その保育園は、別にお金を払えば朝は6時半から、夜は9時くらいまで、場合によっては土日も開けてくれるんです。仕事が重なった時に何度かお願いしました。あまりにもお世話になったので、卒園する時に看板を作らせてもらいました。

中村 しっかり仕事に結びつけていますね(笑)。

相原 いや、記念品として贈呈したので仕事ではないです(笑)。

——自治体によるとは思いますが、フリーランスの人は組織で働く人に比べて申請が通りづらいという話を聞いたことがあります。

相原 通らなかったフリーの仲間が何人かいます。家で仕事しながら面倒を見られると思われるのでしょうね。僕は家の外にスタジオを借りていますけど、そこで小さい子どもを遊ばせておくのは無理。機械や工具がありますから。

中村 確かに鍛金の工房は危険ですね。僕は秋田出身なのですが、実家が製材所だったんですよ。帯ノコが何台もあるようなめちゃくちゃワイルドな環境です。祖父母も両親も全員働いているから、僕なんて小さい頃は3メートルくらいの紐で柱につながれていました(笑)。家族や従業員の人たちが働きながら常に見守ってくれていたので、危険だという意識はなかったです。逆に働いている人が指を切ったりして(笑)。でも今はそういう時代じゃないですよね。

「ちょっと見ててもらえる」関係を作る

中村 息子が小さかった時の話に戻ると、幼稚園に入った頃から、僕が海外の仕事が増えてきたんです。海外での展覧会やリサーチには毎回、子どもを連れて行きました。

——招聘元はお子さんの同伴に対して協力的でしたか?

中村 先方には旅費が家族の分もかかることや、オープニングパーティなどには子連れで出ることを最初に伝えて、理解してもらっていました。もちろん、毎回受け入れられたわけではなく、自分たちで旅費を負担したり、ベビーシッターを雇ったりしたこともあります。2001年のヴェネツィア・ビエンナーレに参加した時は、現地で制作する時間が長かったので、制作の間はベビーシッターに見てもらっていました。一人で行くよりもお金がかかって大変でしたけど、息子の経験値が上がることの方が重要だと思っていましたね。あと、母親にばかり子育ての負担が行くのを防ぎたかったということもあります。

相原 夫婦間のすり合わせは大事ですね。うちも子どもに合わせて制作時間を区切る時は、女房と相談しながらやっていました。

中村 国内でも、アートプロジェクトなどで地方に長期滞在する時は必ず息子を連れて行っていましたね。基本的に僕を呼んでくれるのは、地域の課題を解決したい、コミュニティを作りたいと思っている人たちです。人と人とのつながりを大切にしている人たちですから、世話好きな人も多くて、子連れは歓迎されました。僕が子どもの面倒を見られない時、「ちょっと見ててもらえる?」と言えば誰かが見てくれる。反対に、家族を迎え入れるようなバランス感覚がないと事業自体が成り立たないとも言えます。
海外でも日本でも、子どもはすぐに環境に順応して、あっという間に友達ができるんですよ。船での移動中などの短時間でも、初対面の外国の子どもと一緒に遊び始めるくらい。そのおかげで親の僕らも現地の人間関係に溶け込みやすかったりして、子どもに助けられることは多かったです。

相原 「ちょっと見ててもらえる?」と言えるのは、信頼関係がそこにあって、お互いの存在を認め合っているからですよね。中村先生の人柄やカリスマ性も大きいと思います。

中村 小さい頃の原体験が大きいかもしれないです。秋田の実家が大家族で従業員も大勢いる中、跡取り息子として皆にちやほやされて育ったものだから。その後、祖父母が亡くなり、両親も亡くなり、姉と僕の二人きりになって実家は縮小していくのですが、代わりに別の場所で自分のコミュニティを作ってきたような気がします。
うちのスタッフはなぜか内部で結婚する率が高いんですよ。かつて息子のベビーシッターをしてくれていたアシスタント同士がその後結婚して、今は作家活動をしながら子育てしています。彼らにとって、作家の先輩である僕ら夫婦の育児を手伝った経験は、意外と悪いものではなかったんじゃないかなと思いますね。

子連れ出勤はアリ? ナシ?

中村 とは言っても、現実的には大学教員の立場で赤ちゃんや幼児を職場に連れてくるのは簡単ではないですよね。

河野 僕は自分に子どもができてから、仕事場に子どもがいるのはアリなんじゃないかと思うようになりました。アニメーション専攻では、岡本(美津子)先生が会議などに子どもを連れて来るのはウェルカムという考え方です。実際、元藝大の助手で今はプロジェクトメンバーとして参加されている女性が、一時期よくお子さんを連れてこられていました。

中村 子どもがいるからって、別に会議の流れが変わるわけじゃない。

河野 そうなんです。その女性も、子どもが泣くと抱っこしてあやしながら、普通に話し続けています。周りの僕らも、最初は子どもを囲んで「可愛いねー」とか構っていたのが、だんだん特別扱いしなくなるというか、子どもがいるのが普通になっていました。
そういう環境ですから、子どものいる光景はある程度見慣れていたのですが、考え方が大きく変わったのはやはり自分の子どもが生まれてからですね。僕自身が、子どもの泣き声などにあまり気を取られずに仕事できることがわかったからです。でもこれは慣れから来る部分が大きいので、職場の人が全員同じ感覚を持っているかといえば、そうではないと思います。

相原 子どもができて初めて気づくことは多いですよね。僕自身も父親になって、ずいぶん価値観が変わりました。独身で子どももいなかった頃は「こっちは結婚もせずに制作しているんだ。日曜日に家族サービスしている人には負けない」という気持ちがあったけど、今は子育てに時間が取られて少しくらい仕事が遅れてもいいやと思うまでになった。子育て中の後輩にも早く帰りなよと言います。

中村 全員が親になるわけではないし、全員が同じ感覚になることはないと思います。ただ、いろんな働き方が認められる職場であってほしいですよね。たとえば、どうしても子どもの預け先が見つからない場合は連れて来ても許されるとか。

相原 キャンパス内に保育園を持つ大学もあるんですかね。

——近くの国立大学では、東大には大学が学内向けに運営する全学対象の保育園が4カ所と、大学病院関係者が対象の保育園が1カ所、また大学以外の法人が運営する保育園が2カ所あるようです。お茶の水女子大学には、認可保育所に幼稚園機能も備えた区立のこども園があり、大学が区から委託を受けて運営しています。藝大の規模ではすぐに保育園を作ることは難しいですが、一時的な託児スペースが欲しいという声は上がっています。非常勤講師が授業の間だけ預けたいとか、子どものいる学生がレッスンの時間だけ見てほしいといったニーズがあります。

中村 そういうスペースがあると、教職員間の新しいコミュニケーションが生まれそう。藝大だけでやるのが難しいなら、上野の博物館・美術館と連携するのはどうですか。あるいは根津方面と連携してもいいかもしれません。需要はありそうですけど。

相原 上野「文化の杜」新構想(藝大を含む上野の文化施設・文教施設が東京の芸術拠点としての上野の魅力を国内外に発信する試み)が2020年に向けていろんなプロジェクトを立ち上げていますけど、既存のニーズに対するアプローチも必要でしょうね。

中村 一団体で抱えるより地域単位で考えた方が物事は続くと思います。地域社会との接続は大事ですよ。上野の藝大は、上野公園にあるということもあって、やっぱり塀で閉ざされている感じがする。もっと地域コミュニティに開かれていけば、教職員の働き方や人間関係に対してもより寛容な環境が生まれる気がします。本来、ダイバーシティってそういう考え方のことですよね。

子どもの存在によって風通しが良くなった

中村 「アーツ千代田3331」(2010年に千代田区の旧練成中学校校舎にオープンした、ギャラリーやオフィス、カフェなどからなるアートセンター。中村教授が統括ディレクター)では、地域コミュニティに対する接続に相当気を遣ってきました。千代田区って働いている人は多いけれど住民の数は意外と少なくて、3331のある地域の町内会も400人くらいなんです。特に子どもが少なくて、お祭りなどに3331関係者の子どもが参加すると、非常にあたたかく迎え入れてもらえるんですよ。

相原 僕も神田出身なので、その雰囲気は想像できます。もともと職人の町ですから、僕が小さい頃は、大人も子どもも銭湯に行って夕食は店屋物を取るような暮らしが根付いていて、生活が地域と密着していました。

中村 そういう雰囲気が今も残っていますよね。銭湯に行くと、一見怖そうだけど実は話好きなおじさんがいたりして。7年間活動を続ける中で、子どもたちが地元に溶け込むにつれて、我々大人もよりラクに動けるようになりました。

——3331には親子用の無料の休憩スペースがありますね。

中村 畳の上で子どもを遊ばせながら、親同士が安心しておしゃべりできる場があります。地域の公園みたいなものです。そういう場が施設内に一つできただけで、施設全体の空気が変わるんですよ。スタッフも子どもに声をかけやすくなって、「ここは走っちゃダメだよ」とか「ギャラリーの中では静かにして」とか遠慮せずに言える。

——藝大はまだまだ子どもを連れてこられる環境が整っていませんが、教職員や学生の子どもが親の職場を見学できるファミリーデーのようなイベントを開催してほしいというリクエストはあります。子どもが親の仕事を理解するきっかけになるだけでなく、職員同士の相互理解にもつながると思います。

相原 いいですね。地域の子どもを対象にしたイベントはあるのだから、職員の子どもを喜ばせるイベントもほしいです。

中村 子どもが楽しめるイベントを企画するとなると、相当計画を練る必要があると思いますが、ぜひやってほしいです。小さい子だけじゃなくて、うちの息子みたいに大学生くらいの年齢の子も参加できるプログラムがあるといいな。数時間でアニメの作り方を学べるワークショップとか。地域との連携も含めて、藝大が子どもに寛容な場所になっていくきっかけになるといいですよね。

相原 職員の家族の存在が認知されるメリットもありますね。たとえば子どもが病気でいつもより早く帰るとなった時に、同僚の理解を得られやすくなるかもしれない。奥さんや子どもの顔が知られていると「あの子が具合悪いのか」とか「今日は奥さんの方が忙しいのかな」とか想像してもらいやすい。

中村 奥さんの顔までは別に知られなくてもいいかな(笑)。個人的には犬も連れてきてOKになってほしい。動物がOKになれば、バリアフリーが一気に加速するはずなんです。海外では美術館や電車にも犬がいますよね。もちろん躾がされていることが前提ですけど。犬が社会の一員として認められず、ペットショップで売買されるような日本では、なかなか難しいのかな……。本当は動物の話もしたいんですが、収拾がつかなくなりそうなので今日はやめておきます(笑)。

家庭によってそれぞれ、アーティスト夫婦の子育て方針

河野 ここまで主に子どもと社会の関係についてお聞きしましたが、お二人の子育て方針についても教えていただけないでしょうか。うちの子はまだ小さくて個性が明確に出るような年齢でもないので、どんなふうに成長するのか想像できなくて、はっきりとした教育方針のようなものはないんです。お二人はお子さんが小さかった時、どんなふうに育てたいと考えていましたか。

中村 先に話した内容と重複しますけど、意識していたのは、とにかく一緒にいることですね。仕事場に連れて行ったのもそう。僕たち両親だけでなく、仕事仲間や友人のコミュニティの中で成長してほしいと思いました。つまり、息子の成長の流れがコミュニティの中で記憶されていくということ。幼い頃から相当あちこちに連れて行っていたので、今、息子には「何々くんはあの頃、こうだったよ」と言ってくれる人間が大勢います。将来、息子が社会人になった時、彼らは社会人同士として仕事の話をするかもしれないし、やっぱり昔話をするかもしれない。いずれにしても、初対面同士よりは深い話ができる。そういうソーシャルキャピタル(社会関係資本)の蓄積って、物質的資本よりも大切だと思うんです。
また、うちの子の話に限らず、「面倒みてあげた」「面倒みてもらった」という記憶が多くの人にあった方がコミュニティや街も豊かになると思います。

河野 そのお話はとても説得力があります。

中村 ずいぶん時間が経った今だから言えるだけで、当時は毎日必死でしたけどね。息子には毎年、会社の忘年会に参加させているんです。忘年会でしか会わない人たちも多くて、年に一度「大きくなったね」と言ってもらえる関係です。見ていると面白いですよ。定点観測みたいで。息子も最近は、挨拶で「やせている方の中村です」(笑)とか受ける冗談を言うようになって、親の僕も「いつの間に!?」とちょっとびっくりしたりしてます。

相原 息子さんが中学、高校時代を韓国で過ごしたのは、中村先生の意向だったのですか?

中村 日本と韓国の二国間で生まれた子どもなので、両方のアイデンティティを抱えて成長することを考えて、両方の国で、かつ言語能力がつけられる環境で育てたいと思ったんです。あと男の子なので、徴兵制の問題もありました。それでいろいろ考えた結果、日本では湯島の公立小学校に入れて、韓国ではインターナショナルスクールに入れました。実は小学3年生の時にも半年間、韓国の現地校に放り込んだことがあります。それまで韓国語は話せなかったのですが、コミュニケーション能力がありそうなので大丈夫だろうと判断しました。語学力やコミュニケーション能力がつく環境というのは、親がある程度仕込む必要があります。子どもは環境を自分で選べないですからね。

——あちこちで過ごした経験があるとはいえ、父親である中村先生のベースはあくまで東京の湯島ですか?

中村 ずっと湯島、神田界隈です。子どもがいつでも戻ってこられる場所として、この界隈をホームに選びました。実家が秋田なので二拠点で暮らせるようになりたいと思っています。郷土があるというのは生活に広がりが生まれて大切です。

——相原先生もそういった方針はありましたか?

相原 僕自身、長い間柔道をやっていてスポーツが好きなので、息子にもスポーツに慣れ親しんでもらいたいという気持ちがありました。小学校も主にグラウンドの広さで選んで、その学区に引っ越したくらいです。主に相撲と野球を親子で楽しんでいます。今住んでいる場所は、近くに相撲部屋がいくつもあって、区の子ども相撲大会が盛り上がるんですよ。息子も3歳くらいから参加していて、3位まで入りました。それより上はなかなか厳しいですね。優勝するような子たちは、本人はもちろん、親の体型もすごいので(笑)。あと、東京場所は毎回連れて行っています。

中村 スポーツはいいですね。心と体はともに育つわけですから。

相原 野球に関しては、自分が子どもの頃に後楽園球場に連れて行ってもらって楽しかった記憶があるので、東京ドームによく連れて行っています。(プレーする側としては)3、4歳頃から始めるのが大事だと聞いて、保育園に行く前の早朝にランニングとキャッチボールをさせていたら、保育士さんに不審がられました。「忙しいから預けているんですよね?」と。
それから、先ほどコミュニティの話がありましたが、うちの子も下町の近所の皆さんにすごくかわいがってもらっています。東京マラソンや隅田川花火大会など、地元が盛り上がるイベントがいくつもあるので、子どもにはできる限り体験させたいと思っています。

——中村先生と相原先生はご夫婦ともに作家ですが、お子さんも美術の方面に興味がありそうですか?

相原 0歳の頃から展覧会に連れて行っていますが、子どもはキャッチボールの方がいいと言いますね。今はスポーツが楽しくて仕方ないみたい。女房とは、もし美術の道を目指すなら建築かデザインにしてほしいねと話しています。

中村 なぜですか?

相原 建築やデザインって基本的に「対・社会」じゃないですか。工芸の場合、個人のコレクターや美術館など「対・個人」の要素が強いので、「対・社会」の表現がちょっと羨ましく見える時があるんですよ。

中村 なるほど。アーティストとして生活するのが大変だというのは、親を見ていればわかるでしょうね。うちもおそらく両親の反動で、芸術以外の方面に関心があるみたいです。ただこの間、専攻か何かの話をしていた時に「文化政策」という単語が出てきて、「おや?」と思ったんですけど(笑)。まあ、大学に入るところまでは親として割と計画を立ててやってきましたけど、この先は本人の考え次第です。

河野 やはり家庭ごとに方針や理想があるのですね。参考になります。

相原 でも中村先生と同じで、僕も結果として言えることを言っているだけです。最中は一瞬一瞬のベストを尽くすしかない。

中村 子どもと一緒に親も成長するんだと思いますよ。

河野 自分も完璧な人間じゃないのに人を育てることなんてできるんだろうか、と思うことがあるのですが、そう言われるとちょっと安心します。地域との関わりについても、自分なりに考えていかなければと思いました。うちは夫婦ともに地元を離れていて、親も近くにいないですし。

子を持って改めて考えた、親の存在

中村 親とはできるだけ会ったほうがいいと思いますよ。両親を見送った今実感するのは、もっと子育てに参加してもらえばよかったということ。息子とおじいちゃんおばあちゃんの関係をもっと作ってあげればよかったな。実際には親も僕らも忙しくて難しかったのですが。

河野 子どもが生まれてから、自分の親のことをよく考えるようになりました。近くで見守ってもらえるのが理想ですが、今は離れて暮らしているので、できるだけ会う機会を作ったり、電話で連絡を取ったりしています。

中村 おしめ替えとか、自分もかつて同じようにやってもらっていたんだと思うと、頭が上がらないよね。

河野 まったくその通りです。

中村 ちょっと話が変わるけど、僕の叔父が中学校卒業後に一人で秋田から上京して、工場に就職したんですね。そこでのちに奥さんになる人と知り合い、結婚した。僕が浪人時代に叔父の家に行った時は、娘が3人いて、5人家族でした。その後、娘たちがそれぞれ結婚して子どもが生まれて、ある時家族写真を見せてもらったら、すごい人数が写っていたんです。叔父は少し前に癌で亡くなったのですが、叔父の人生を振り返ると、1が2になって、5になって、10以上になって家族が増えていく……。これってすごいことだなと思うんです。

河野 不思議ですね。自分に子どもができるまで、考えたこともありませんでしたが。

中村 うちは一人っ子だから、余計に叔父の写真が微笑ましく見えたのかも。2、3人の子どもがいる家族を羨ましく思うことはあります。

相原 男3人兄弟とか、想像するだけで大変そうですよね。一人を見ているすきに他の子がどこかに行ってしまいそうで。

中村 入学、卒業などの時期もそれぞれ違うし、うちみたいに国内外を行き来する子育ては一人っ子だからできたことですね。2人目以降も考えていますか?

河野 まだわかりませんけど、できれば2人以上欲しいです。子どもが何人もいる家族に憧れます。これも、子どもが生まれるまで持ったことなかった感情なんですけど。今、自分の考えが変わることに毎日のように驚いています。

中村 教育費とか現実的なことを考えるといろいろ不安もあるかもしれませんが、きっと何とかなりますよ。楽観的に考えたほうがいいです。ところでお子さんは男の子? 女の子?

河野 娘です。

中村相原 それは心配だ!

河野 (笑)

中村 よく2人目以降は写真が少ないと言いますよね。それで思い出したのですが、子どもの記録はたくさん残しておくといいですよ。

河野 すごい撮りまくってます。

中村 皆、小学生低学年くらいまではいっぱい撮るんだけど、だんだん運動会とか発表会とかの記念日だけになりがちじゃないですか。そうじゃなくて普段の姿も撮っておくことをおすすめします。うちは中学・高校と離れて暮らしていたので、会える時はかなり撮っていました。いつか、撮りためた写真をまとめて見せるつもりです。「こっちはお前をずっと見ていたんだぞ」という親側の視線を見せたいなと思って。

教職員同士が業務以外の話を共有できる場を

——そろそろ時間がなくなってきたので、最後に皆さんからアドバイスをいただきたいと思います。最近、夫婦の片方が仕事をしながら家事育児の大半をこなす「ワンオペ育児」が問題になっています。妻側に負担が偏るケースが多く、女性研究者の中にもワンオペ育児に悩んでいる人は少なくないようです。今日お集まりの皆さんのご家庭は違うと思いますが、この問題を解消するためのアイデアがあれば、ぜひ教えてください。

河野 私の場合は正直、自発的に家事育児をするようになったというより、そうせざるを得なくなったという感じです。生まれる前は、こういうことは女性が積極的に主導してくれるものだと漠然と思い込んでいました。女性の方が育児に向いているという先入観があったんです。共働きを選択して、家事も育児も二人でやらないと回らないことがわかりました。

中村 せざるを得なくなったということは、自分から心を開いていったわけではなく、開かされたという感じですか?

河野 そうですね。保育園の送り迎えとか、自分にできることからやり始めて、少しずつ対応範囲が広がっていったという実感があります。自分がやるつもりはなかったし、やれるとも思っていなかったのですが、やってみたら何とかできた、という経験を積み重ねて、価値観がずいぶん変わりました。

中村 僕は、 自分が男だから家事育児に向いてないとは考えなかったですね。料理も掃除も楽しいから。息子が小さかった頃は、昼間は母親の方が面倒を見る時間が長くてクタクタに疲れていたので、夜の家事や子どもの夜泣きを抑えるのは僕がやっていました。自分が食べたいものは自分で作った方がいいし。

河野 わかります。

中村 あ、自分の方が美味しく作れると思ってる?

河野 いやいや、そういう意味ではないです!

中村 ワンオペの家庭については、旦那さんがどれだけ心を開くかにかかっていると思いますね。

相原 自然に男性が家事をやるような雰囲気になるといいんですけどね。男女平等だから男性も家事をすべき、みたいに定義づけてしまうと雰囲気がかたくなってしまう。

中村 第三者が入るのもいいかもしれませんね。一対一の関係は閉塞するから。お節介焼く人が間に入って二人の話を聞くプログラムがあるといいかも。
今日みたいな話をするのに、ここに子どもが一緒にいたらよかったですね。

相原 確かに。今は学校の時期ですけど、夏休み期間中なら連れてこられました。

中村 子どもがいれば、話すトーンも変わっていたかもしれない。でも今日はお二人と話せてよかったです。藝大が開かれた場所になっていくためにも、教職員同士が業務以外の話を共有して、信頼を深める場がもっとあるといいですね。大学も働きやすくするための制度をいろいろ考えていると思うんですけど、まず先に信頼感を生み出すためのプログラムがあって、その流れの中で制度が作られていくのが理想だと思います。機会があれば、他の先生方の話、特に介護の話も聞いてみたいです。


中村政人(なかむら・まさと)/1963年秋田県大館市生まれ。アートを介してコミュニティと産業を繋げ、文化や社会を更新する都市創造のしくみをつくる社会派アーティスト。第49回ヴェネツィア・ビエンナーレ日本代表。1997年よりアート活動集団「コマンドN」を主宰。全国で地域再生型 アートプロジェクトを展開し、2010年、民設民営の文化施設「アーツ千代田 3331」を創設。

相原健作(あいはら・けんさく)/1969年東京生まれ。現在、東京藝術大学特任研究員。2017年「金工の深化」展 和光ホール、2016年「みなの衆―東京藝術大学鍛金研究室で学ぶ」LIXILギャラリー、2015年「菊池寛実賞・工芸の現在」展 菊池寛実記念智美術館、2010年「第26回淡水翁賞・最優秀賞」(公益財団法人美術工芸振興佐藤基金)2009年「第10回桜の森彫刻コンクール・優秀賞」(日本国花苑に作品設置)。

河野宏樹(こうの・ひろき)/2011年東京藝術大学大学院映像研究科アニメーション専攻修了。現在、同専攻教育研究助手。

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