Hopping Women Interview #3

高木綾子さん「子育て、大学の仕事、演奏活動のトライアングル」

藝大出身の女性にキャリア上のさまざまな選択や決断について訊ねるインタビュー、第3弾にご登場いただくのは、本学音楽学部器楽科准教授でフルート奏者の高木綾子先生です。附属高校も含めると本学で10年間学んだ後、演奏家として第一線で活躍し、現在は准教授として後進の育成にもあたっている高木先生。「子育てする演奏家になろう」と思ったきっかけから、多彩な活動を並行することの相乗効果、同窓生であるご主人や3人のお子さんたちとのプライベートまで伺いました。

写真:西村伊央

フルートの道を決定づけた三つの決意

───まずは、高木先生がフルートを職業にしようと思われたきっかけを教えてください。どのようなタイミングで「フルートの道に進もう」と思われたのでしょうか?

高木 ターニングポイントと言える出来事がいくつかあります。最初はフルートを始めた8歳の時。自分専用のフルートを買ってもらう日、確か楽器店に向かう車の中で、地元のフルートの先生から「綾子ちゃんは将来、演奏家になれるくらい頑張るの? それともちょこっと吹ければいいなと思っている?」と尋ねられて、前者だと答えました。物心ついた頃から、演奏家という職業があることは知っていました。母が自宅でピアノ教室を開いていて、私も3歳からピアノを習い、妹はバイオリンを習っていたのですが、子ども心に「親は私たち姉妹を音楽家にしたいのだろうな」と思い込んでいたところがあります。ピアノをやっていた時は、たいして上手でもないのに「チャイコフスキー国際コンクールで優勝する!」と大口を叩いていました(笑)。

二つ目は、高校受験の時。中学2年の時に、父の転勤でベルギーに引っ越したのですが、赴任期間は3年と決まっていて、私の高校受験に重なったんです。現地に残る場合の進路として、インターナショナルスクール、地元の高校、ベルギーのコンセルヴァトワール、パリのコンセルヴァトワールなどの選択肢がありました。その中ではパリのコンセルヴァトワールに行きたかったけれど、当時はソルフェージュなどの試験をフランス語で受ける自信がなかった。そこでヨーロッパには将来留学すればいいと考えて、日本で音楽の知識を学べる最高峰の学校を選びました。家族から離れて一人で帰国し、藝高(東京藝術大学音楽学部附属音楽高等学校)に行くと決めたのです。

そして三つ目が、大学3年生でデビューが決まった時です。クラシック音楽業界でいうところの賞歴がそれほどないにもかかわらずデビューの話が来たことで、一部の人からよくない噂を立てられました。そこで「要は賞があればいいのね」と奮起して、国際コンクールを受けて、賞をいただいたんです。デビュー作のCDは4年生の時に録音し、大学院に入ったばかりの頃に発売されました。その時点ではある程度の賞歴ができていたので、周りから何を言われても気にせずにいられました。

───逆境をバネにしてこられたのですね。

高木 見栄っぱりかもしれません。昔から、人に何を言われようが自分のしたいことを最優先させるというか、やりたいことをやれる状況に持っていくための努力は惜しまない性格です。

───デビュー後も大学院で学び続けようと思った理由は?

高木 デビューして演奏活動に専念すると、人の演奏を聴く機会が減り、自分の音楽だけの世界になってしまいがちです。まだまだ金昌国先生(2010年退任)やパウル・マイゼン先生(1996〜2002年客員教授)から教わりたかったですし、同年代の人たちと一緒に切磋琢磨する方が自分のお尻に火がつくかなと思いました。大学院には3年間いました。その後、留学の話があり、演奏活動を中断して海外で学ぼうと思ったのですが、同じ頃に事務所が変わったり演奏の仕事がいっぱい来たりして、機会を逃してしまいました。ミュンヘン音楽大学の元教授であるマイゼン先生に教わったことで、藝大にいながらにして半分留学したような気にはなっていたところはあります。でも実際に留学しなかったことだけは、まだ少し悔いが残っています。

演奏家、非常勤講師、生徒の3足のわらじ

───演奏家にとっての独り立ちというのは、どういう状況を指すのでしょうか?

高木 何をもって独り立ちとするのかは曖昧というか、時代とともに変わって来ているように思います。私がデビューした頃は、CDが出すことが一つの目安でした。ある程度目立っていなければ、CDは出せなかったんですね。でも今は、インディーズで比較的簡単に出せます。演奏機会も同じ。私が20代の頃は、リサイタルを自分で開く機会なんて滅多にありませんでしたが、最近は自主公演のスポンサーになってくださる方が結構いらっしゃることもあり、学生でも自分でホールを借りて演奏会を企画する人が増えています。あえて区切りをつけるとすれば、オファーが来ることですかね。あるいはオーケストラや音楽事務所に所属することも、独り立ちと言えるかもしれません。

───大学院を出た後、すぐに非常勤講師の仕事も始められました。

高木 修了と同時に他の大学で非常勤講師を始め、その翌年には藝大でも非常勤講師を始めました。26歳くらいだったと思います。生徒は、つい最近まで一緒に勉強していたような子たちなので、「先生」ではなく「綾子さん」と呼ばれるような関係でしたね。私自身、教える立場になってもコンクールを受け続けていましたし、コンクール前になると金先生のレッスンを受けさせていただいたりしていたので、学生なのか先生なのかよくわからない立場でしたね。

教えることは、とても自分のためになりました。それまでは「こんなふうに吹きたい」と思えば、その方法を自分の中で昇華していたわけですが、生徒には「こういうふうに吹くために、こうしてみて」と言葉で説明しなければいけない。自分が今まで感覚的にやっていた作業を頭の中で整理するいい機会になりました。自分が演奏する時の頭の使い方まで変わりました。

───さまざまな活動を並行する中で、どこに重点を置くか迷うことはありましたか?

高木 私にとっては、教えること、演奏活動、学ぶことはどれも重要で、どれも手放せないもの。演奏活動が教えることにつながり、教えることが自分の学びにつながり、勉強したことが演奏につながる。このローテーションが欠けてしまうと何かが失われるのではないかと思っていました。

オーケストラではなく大学の仕事を選んだ理由

───その後、藝大では2010年から常勤講師、2011年から准教授を務めていらっしゃいます。どのような思いで常勤教員の職に臨まれたのでしょう。

高木 実は藝大から常勤教員の公募を受けないかというお話をいただいた時、オーケストラのオーディションを受けるつもりで、既に推薦状も書いてもらっていたんです。どちらを受けるか、ものすごく悩んだ結果、近い将来に子育てすることを考えて大学の仕事を選びました。万が一、子どもが病気になった時など、オーケストラの演奏家は仕事を降りられませんが、大学教員なら場合によってはスケジュールなどの変更が可能だろうなと思ったのも理由の一つです。

その後、計画通りに妊娠して、出産予定日が9月23日でした。藝大の最終面接と模擬レッスンが10月4日。予定日に生まれたとして、1週間で退院して3日後にオーディションです。大学には「行く予定ですが、もしかしたら行けなくなる可能性もあります」と伝えました。実際は長男が予定より10日早く生まれたので、多少の余裕を持って臨むことができました。そんなわけで、藝大の仕事は最初からバタバタでした(笑)。

───出産時期については、どれくらい前から計画されていたのですか?

高木 演奏活動のスケジュールは、早い場合は1年半前に決まります。一方、大学の仕事は、当時は非常勤講師だったので、1年のうち授業がない時期は学校に行く必要がありません。そこで、夏頃に出産する計画を立てて、所属事務所にはその前後に予定を入れないようにしてもらいました。

実は3人ともその計画通りに出産しています。これまで出産でキャンセルした大学の仕事は一つだけ。9月中旬の大学院の入試です。子どもは8月下旬に生まれたので、私は当然出るつもりだったのですが、大学から「規則上、産後8週間は休んでください」と言われました。大学の外では、演奏以外の仕事は産後10日目くらいから始めていましたが。

───タフなお仕事ぶりですが、体力作りのためにしていることはありますか?

高木 運動と呼べるものはほとんどしていません。ただ、フルートを吹くこと自体、結構体力を使うんですよ。とはいえ、周りには「君は特殊だから」と言われています(笑)。先日も、妊婦さん向けのコンサートのMCで「出産1週間前まで地方に行って演奏をしていました」などと話していたら、自身も妊娠中だったピアニストに「皆さん、この人の言うことは参考にしないでください! できるだけ休んでください!」と言われました(笑)。確かに私が健康体だからできていたんだと思います。それでも長男の時に比べると、4歳下の3人目の出産後は体力が落ちているのを感じます。

───お子さんが0歳のうちに常勤で働き始めて、どのように仕事と育児の両立を図っていましたか?

高木 運良く、1月に自宅近くに新しい保育園ができて、9月生まれの長男を1月から預けることができたんです。講師になった4月の時点で既にサイクルが定着していました。大変だったのは、2人目、3人目の時ですね。出産1ヶ月後くらいに復帰して、保育所に入れられる4月までは、妹にサポートしてもらいました。彼女も藝大出身で、フリーのバイオリニストです。上野に住んでいるので、妹の家に預けていました。一応ミルクを持って行くのですが、私の方も胸が張るので、数時間おきに自転車で妹の家に行って授乳し、また大学に戻ってレッスン、また授乳、という日々を繰り返していました。

今もですが、本当に周りに助けられています。妹や夫(藝大出身のトロンボーン演奏者、松永英也氏)だけでなく、生徒にもスケジュールを組む上でいろいろ協力してもらっていて、感謝しています。

子育てする先輩を見て、自分もああなりたいと思った

───子育てと仕事の両立を考える上で、身近にロールモデルのような方はいましたか?

高木 20代前半のまだ結婚すら考えていなかった頃の話なのですが、JTアートホールにチェリストの向山佳絵子さんの演奏を聴きに行った時、リハーサルにお邪魔したら、お子さん2人を連れていらっしゃったんです。その時、「子どもがいてもあんなに素晴らしい演奏ができるんだ! よし、私も子育てする演奏家になろう!」と思ったことをおぼえています。

演奏家というのは、学校を卒業後すぐに稼げる人はごく稀で、大抵は演奏で生活できるようになるまで何年もかかります。また、稼げる地位をキープしようとすると、結婚や出産がネックになると捉えられがちです。周囲を見ても、30代後半になってから慌てて結婚・出産する人が多い。そんな中で、子育てする佳絵子さんの姿は、演奏家と育児の両立が可能なことを教えてくれました。そこに教師の仕事も加わることは、当時想定していませんでしたが(笑)。

───藝大では周りに同じような状況の人はいましたか?

高木 私が着任するまで、管打楽に女性の常勤教員自体がほとんどいなかったと思います。周りは男性の先生ばかりでしたが、育児中の私の委員会業務を軽いものにしてくださったり、「子どもは元気?」と声をかけてくださったりと、とても気遣ってくださいました。おそらく、私が入る前に皆さんで話し合ってそういう環境を作ってくださったのだと思います。その雰囲気が今も続いています。

管打楽以外の先生方もよく声をかけてくださいますね。「何歳になった?」とか、「この間産んだばかりだと思ったのに、もう3人目なの!?」とか。私がほとんど出産や育児を理由に業務を休んでいないことも大きいと思います。でも本来は、子作りってそういうものではないですよね。業務に支障に出ないこと優先に行うものではないと思う。本当はそういうことを考えずに産める環境だったらいいのかもしれませんね。

───大学にお子さんを連れてくることはありますか?

高木 ありますよ。さすがに授業やレッスンには連れてきませんが、演奏会や試験の時、私が会場に行っている間にここ(練習室)で妹に見てもらっていました。

家や公演先での育児の役割分担

───学外での演奏活動に連れて行ったことは?

高木 しょっちゅうです。生後1ヶ月の時に金沢に飛行機で連れて行き、楽屋の大きな机の上に私のコートを敷いて寝かせていました。それから毎年、宮崎国際音楽祭の2週間ほどのマスターコースを教えているのですが、これまでは夫がインターネットで見つけた現地の保育所に預けていました。でも今年は、やっと一番下の子も言うことがわかるようになって、夫が3人の面倒を見ることができそうなので、連れて行かないかもしれません。それに保育所も閉園してしまったんです。

───反対に連れて行かない場合は、どのような大変なことがありますか?

高木 長男が年少さんの頃、私が一人で1週間地方に行き、数日間東京に戻り、再び地方に1週間行くことがありました。一度戻ってきた私がまたいなくなったことがよほどショックだったらしく、息子はそれから30日間、毎朝「ママがいいー! 保育園に行きたくない!」と泣き続けたんです。30日間過ぎたら、もう大丈夫だと確信したのかピタッと止まりましたが。その時は本当に可哀想なことをしたと思いましたし、私の心にも傷が残りました。

───普段は、ご主人とどのように育児や家事を分担されているのでしょう?

高木 普段の役割としては、私が夕飯の用意をしている間に、夫が子どもたちをお風呂に入れ、私が食事の片付けをしている間に、夫が歯磨きや寝かしつけをしています。子どもの急な熱などで保育園から呼び出しがあった時は、お互いに連絡を取り、その時に動ける方が行きます。夫はNPOの経営をしていますが、職場の協力と理解を得て、急なお迎えなど柔軟に対応してもらっているようで、周りの方々に夫自身も支えられています。二人とも動けない時は、妹に助けてもらっています。また、どちらかが出張の時や、習い事の送迎なども妹に手伝ってもらうことが多いですね。

夫も妹も藝大出身で演奏家なので、私の仕事を理解してくれていることが大きいです。年間の学事スケジュールや、演奏会の流れなどを把握しているので。たとえば演奏会は大抵19時に始まりますから、私の演奏会がある時は、夫は前半だけ演奏を見て、保育園の延長保育の時間制限である20時半までに子どもを迎えに行くと行った具合です。

───今お子さんは今、7歳、5歳、3歳と伺いました。昨年、ブログにとても素敵な七五三の写真を載せていらっしゃいましたね。

高木 子供3人の年齢が七五三になるのは一度きりなので、「どうしてもやりたい!」と夫に言って、家族全員和装で写真を撮ってもらいました。上と下が男の子、真ん中が女の子なので、本当の七五三とは性別が逆なんですけど。皆とても可愛かったです(笑)。

藝大にあればいいなと思うのは託児スペース

───育児中の教職員のために、藝大にあればいいなと思う制度や施設などはありますか?
高木 公共ホールにある託児室のようなシッタールームがあると、助かる教職員は多いのではないでしょうか。他の多くの大学で、特定のベビーシッターサービスを割安で利用できる制度がありますが、親としては、昔からお願いしているシッターさんに預けたいというのが本音です。私の子どもたちもずっと同じ方たちに見てもらっていて、相性の面でも健康管理の面でも信頼関係ができています。できればいつものシッターさんに、自宅ではなく仕事場の近くで見てもらえると安心です。

何年か前、東京大学やお茶の水女子大学に保育所ができた時だと思うのですが、藝大内にも保育所を作る話が持ち上がったと聞きました。結局、藝大にはそこまでのニーズがないということで実現しなかったみたいです。実際、小さい子どものいる女性の数は少ないですよね。ただ保育所は難しくても、託児スペースがあるといいなと思います。

───高木先生は、本学で昨年度から始まった教育研究支援員制度も利用されています。この制度に申し込まれた目的は?

高木 生徒のために使う時間をより充実させるためです。子育てがなければ、今よりもっと多くの時間を生徒のために使うところですが、現実には使える状況にありません。そこで支援員に補助していただくことで、より効果的な時間の使い方ができるようになればと思っています。もちろん自分の負担削減のためでもあるのですが、生徒のためになる使い方をしたいです。また、私は育児中の女性教員としてこの制度を申し込みましたが、男女、未婚既婚を問わず、介護をしている先生方にも利用されるといいなと思います。

後輩たちへのアドバイスは「ポジティブに考えること」

───今後も今のペースで仕事を続けていかれる予定ですか。

高木 そうですね。これから子どもたちが大きくなると、また新しい悩みも出てくるのかなと思いますが、その時になれば何とかなるかなと思っています。楽観的な性格なんです。それに苦労したことって意外と忘れるんですよね。夫には「本当に得な性格だねー。どれだけ周りが迷惑しているか」と言われます(笑)。

少なくとも私の場合は、子育てで仕事のストレスを発散し、仕事で子育てのストレスを発散できているので、両方やるのが自分に合っています。その二つに加えて、演奏活動という自己アピール、自己満足の時間があるのがちょうどいいですね。子育てや生徒の指導は、私自身が相手から教わったり学んだりすることもたくさんありますが、どちらかというと与える仕事です。でも演奏活動は、私が何かを差し出すというよりは、お客様と音楽を共有する協調の時間。そういう意味で、自己満足の時間だと思っています。常にこのトライアングルがぐるぐる回っているのが私のスタイルなのかなと思います。

───最後に、仕事と育児の両立を目指す後輩へのアドバイスをお願いします。

高木 先ほども少しお話しましたが、フリーの演奏家として活動する場合、出産前後に休んでいる間に、仕事が他のフリーの人に回ってしまうことがあります。それを避けるために、出産時期を遅らせている人は多いと思います。でも私は「復帰しようと思えばいつでも復帰できる」と言いたいです。そして体力のある若いうちの方が、復帰もラクです。もちろん、産後に体調を崩す方もいるので、すべての人に当てはまることではありません。また、出産後は子育てに専念するという選択もあります。

何を選択するかは人それぞれですから、どうするのがいいとは言えないのですが、一つ言えるとすれば、出産や子育てが仕事のネックになる、あるいは仕事が子育てのネックになる、と考えない方がいいと思います。自分自身の意識の問題だけでなく、周りにもネガティブな印象を与えないことが大事。仕事をオファーする側も、演奏家から「すみません、出産するんです……」と申し訳なさそうに言われたら「この人は今、大変そうだから頼まない方がいいのかな」と思ってしまいますよね。そうではなく「出産するんですけど、仕事は全然大丈夫です!」と明るく言った方が、「この人には今まで通り頼んでよさそうだな」と思われるはず。

こういう話を学生や同世代にすると、「それは綾子さんだから平気なんですよ」とよく言われるのですが、立場は関係ないと思います。実際、ポジティブに考えている人は実現しています。少し前の卒業生に「高木先生と同じ間隔で3人産みたい」と言って、既に2人目まで産んだ子がいます。私を見て「できるんだ」と思ってくれたのだとしたら嬉しいですね。


たかぎ・あやこ/愛知県豊田市生まれ。3歳よりピアノ、8歳よりフルートを始める。これまでにフルートを西村智江、橋本量至、G.ノアック、小坂哲也、村上成美、金昌国、P.マイゼンの各氏に、室内楽を岡崎耕治氏に師事。毎日新聞社主催全日本学生音楽コンクール東京大会第1位(1995年)、神戸国際フルートコンクール奨励賞(1997年)、安宅賞(1997年)、宝塚べガコンクール優勝(1999年)、日本フルートコンベンションコンクール優勝及びオーディエンス賞(1999年)、第17回日本管打楽器コンクール、フルート部門第1位及び特別賞(2000年)、第70回日本音楽コンクールフルート部門第1位(2001年)、第12回新日鐵音楽賞フレッシュアーティスト賞(2001年) 、ジャン=ピエール・ランパル国際フルートコンクール第3位(2005年)、神戸国際フルートコンクール第3位(2005年)など多数の受賞歴を誇る。また、大学在学中より本格的な演奏活動を開始。これまでに国内主要オーケストラとの共演はもとより、新イタリア合奏団、シュトゥットガルト室内管弦楽団、ミラノ弦楽合奏団、サンクトペテルブルク交響楽団、フランツ・リスト室内管弦楽団などと共演。2004年秋にはパリ室内管弦楽団との共演でパリ・デビュー。それに続く日本ツアーにも同行し好評を博した。同時に各地でのリサイタルや室内楽など活発な演奏活動を行っている。CD録音も活発に行っており、2000年3月に「シシリエンヌ~フルート名曲集」、「卒業写真~プレイズ・ユーミン・オン・フルート」を同時リリースしてデビュー以来、多数のCDをリリース。2010年には、デビュー10周年を記念して、ベスト盤(日本コロムビア)とモーツァルト:フルート協奏曲集(エイべックス・クラシックス)をリリース。2011年7月には、モーツァルトのフルート四重奏曲全曲集(エイベックス・クラシックス)よりリリースして好評を博す。
オフィシャルブログ「ALLA LIBERTA!」 https://ameblo.jp/takagi-ayako/
所属事務所ホームページ http://amati-tokyo.com/artist/takagi-ayako.html

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